「勉強なされい」(吉田松陰:大河ドラマ花燃ゆ)

gakushu - 最新エントリー

(NHK20140601)



 

1804、ロシア来航

   2016-1-6 20:33  

(NHK20141107)



 

 

 

アメリカ産業革命金ぴか時代
 

1789、英国では紡績技術者は渡航禁止だったが、農民身分で米国入国。
1790、アメリカ初の水力自動織機の紡績工場(英国から)

1804、オランダ移民4世で農家4男のヴァンダービルトが渡し舟を購入。
1810、16歳で、マンハッタンのフェリー業を創業。
1813、競合相手が持つ蒸気船の専売権を提訴

1834、専売権訴訟に勝訴。
1847、蒸気船大手に成長し、ボストンへの鉄道路線を買収。


1861、南北戦争に蒸気船と技術者を提供。
1877、長男が鉄道事業を相続
1883、鉄道買収をすすめ、相続した時の倍、世界一の大富豪に。
 

1905、満州鉄道にアメリカの鉄道王ハリマンが合弁参画希望(桂ハリマン協定)
1906、小村寿太郎が桂ハリマン協定を破棄。
1909、ハリマンの盟友ディッカーマンが黒竜江省の鉄道敷設開始。

 


2020、現在でも世界で7番目に裕福な一族を維持
 

 

 

 

 




詳細→YouTube: Yよび校

1839、月岡芳年

   2016-1-6 20:30  

(NHK20140413)



 

1841、天保の改革

   2016-1-6 20:27  

(NHK20141107)



 村田保:

明治大正期の官僚・政治家
大日本水産会創設時の副総裁。貴族院議員(勅撰)勲一等。
 

1843(天保13)肥前唐津藩生まれ。


早くから新政府に出仕、司法官僚となる。
1871英国留学、法律学を学ぶ。法律に関する著書がある。

欧州留学中水産学を志し、
1882(明治15)大日本水産会を創立、

 

1888水産伝習所(東京海洋大学)創立。

大日本水産会の幹事であったとき
日清戦争に際し、かつてドイツでモルトケ
普仏戦争の勝因は缶詰だと聞いたため、軍用として
魚肉缶詰の採用を軍当局に勧告し、
その結果として牛肉以外に軍需として
魚肉を使用する缶詰を採用することとなった。



日本の缶詰が発達したのは水産缶詰からで
戦前は輸出品でもあった。

 

当時の食品業界を「アッ!」と言わせた野田清右衛門は
表彰され、それを記念して1911(明治44)福神漬発明表彰の碑が
建立されました。村田保は、その記念碑の文字の依頼を
引き受けてます。

 

 

 

 

(NHK20141107)



仙台・伊達藩の一門、
2万3千石の涌谷城主・伊達安芸の家臣、
花井安列による日記には1833-1847まで、
毎日の天候記事が書かれている。
天保7(1836)年はコメが
平年のわずか10%しか収穫できなかった。




花井安列の「天候日記」に注目すべき記述があった。
1835/04/04に、 「此節毎朝、日出赤く」と。

その前後の天候状況から、この朝焼けは
普段見られるようなものではないと判断できる。

火山噴火の資料によれば、その2ヶ月前の
1月20日に中米ニカラグアの コセグイナ火山が噴火している。
花井安列はこの噴火の事実を知らなかったはずだが、
噴煙でできた 連日の朝焼けを異常と感じて
記録に残したことは驚きである。
 

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