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(NHK20140702)
小林 一三(こばやし いちぞう)
1892、明治25年慶應義塾卒、三井銀行に勤務。
34歳まで勤め、東京本店調査課主任にまで昇進。
日露戦争終結後、三井物産の大物である飯田義一や、
かつての上司で北浜銀行(三菱東京UFJ銀行の前身のひとつ)
を設立した岩下清周に誘われ、大阪で
岩下が設立を計画する証券会社の支配人になるために
1907年(明治40年)、大阪へ赴任
1907、恐慌で証券会社設立を断念、
岩下を説得し北浜銀行に株式を引き受けさせ
有馬電気鉄道を買収。
1910、鉄道予定地周辺を宅地化し、
サラリーマンが購入できるよう分割支払いの
分譲地とし、成功した。
1914、終着駅に温泉開発と娯楽で宝塚歌劇団を設立。
1896年、フランス港湾、スイス、ロンドン:
(NHK20140820)
(NHK20160625)
【1815】
ナポレオンのエルバ島脱出、
100日天下。
【1830】
フランス7月革命。
1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒された。
ウィーン体制により構築された正統主義は部分的に崩壊し、
ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に就いた。
その影響はヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制を揺るがせた。
とりわけ、旧貴族がフランス革命の際に被害を受けた城館(シャトー)
の代償のために10億フランの資金を国庫負担にする法律の制定は、
市民階級の不満を高めた。
国王は驚き、七月勅令の破棄と内閣総辞職を決めたが、時すでに遅かった。
ギロチンを怖れる国王シャルル10世は退位し、オーストリアに亡命。
後継政府には「国民王」ルイ・フィリップが立った。
ここにフランスは立憲君主制に移行した(7月王政)。
ブルボン家の支流であるオルレアン家のルイ・フィリップは
別名「株屋の王」であり「ブルジョワの王」であったため、
市民たるブルジョワジーの不満は急速に解消されていった。
ヴィクトル・ユーゴーによれば、
「フィリップ王はあらゆる階級の言葉に通じ、
それを常に話していた。最もよくブルジョワ(中流社会)を
代表した人物であったが、また一方でそれより抜きん出て
万事にそれよりも優れていた」という。
1793、父は共和国転覆の嫌疑で革命広場で処刑、スイスへ亡命し
教師になり米国移住し、ナポレオン失脚の1814に帰国。
詳細→YouTube: N I
1830、アルジェリア出兵、併合
1838、菓子戦争を起こしてメキシコ勝利
1840、ロンドン条約、アジア外交が列強に干渉される
1844、清国に不平等条約
1847、鎖国のインドシナに砲撃
1848、1846年以来の恐慌もあり「諸国民の春」革命で失脚
1848、フランス王政の終了(987年カペー朝)
(NHK20160324)
1826、シーボルト来日。異国文化がなかなか広まらない現状を憂い、
『薬品応手録』を出版し、コーヒーが健康食品であることを広めた。
(NHK20140316)
1805年、快盗「鬼あざみ清吉」逃げるも捕まる。
(NHK20160426)
原始農業時代から家畜や人間の排せつ物の作物に対する効果
が経験的に知られそれらが自給肥料として使用されて来た。
日本では特に人糞の使用が盛んだった。
19世紀に入ってフンボノレト(1769-1859)が、南米ペルーで
大量の海鳥糞の堆積物を発見したのは1802年。
これがペルーグアノとしてヨーロッパやアメリカに輸出され
農産物の飛躍的増収がもたらされた.