「勉強なされい」(吉田松陰:大河ドラマ花燃ゆ)

gakushu - 最新エントリー

1910、ハンサムコンテスト

   2016-10-31 11:34  

(TV東京20151104)

 

 

 

荒川放水路:

1910、8月に来襲した2つの台風により2週間の大雨が、
関東大水害をもたらした。

 

1913、用地買収が完了し、パナマ運河技術者により着工。10年計画。
1924、墨田川への分岐点の岩淵水門が運用開始。
1930、世界大戦と大震災を経て、荒川放水路完成。
1947、カスリーン台風ののち、荒川上流に、二瀬ダムを計画、1961完成。
1949、治水調査会により利根川上流にも、八ッ場ダムを計画、2019完成。


 

 

 

 

 

 

 




詳細→YouTube: TV TOKYO

1906、裁判化学、馬の時代

   2016-10-31 11:33  

(NHK20150905)

 

 

 


 東京新宿に、ロンドンから寄贈された馬水槽

(TV東京20180621)



 

1915、対華21ヶ条要求

   2016-10-31 11:24  

(NHK20141015)



 

1935、江戸川乱歩と少年探偵団

   2016-10-31 11:22  

(NHK20150719)



 

1925、とある憲兵の福岡赴任

   2016-10-31 11:21  

(NHK20160109)

 



  1925(大正14)、NHKラジオ 本放送開始

(TV東京20150910)


 

 

 

 

 

1925年10月、
石原莞爾古戦史の教官になる。


戦術的に勝つことに努力するは当然ながら、
特にいたずらに決戦に勝つことのみを強調する。
これは欧米戦術に心酔した力の戦いを尊重した結果であり、
窮極において戦いは心の戦い、心理戦
であることを忘れたきらいがある。

つまり力の戦いが勢い真実に反する「強気」の傾向を呼び、
あまりに硬直して、殆んど退くことを知らぬ。
もとより弱音をはかない主義は戦陣のこととて、大切ではあるが、
真実に反して形式に堕し迎合に傾く時において
行き過ぎの強ガリとなり、持久戦略の欠如となり
ゲリラ戦の如きは夢にも考えなかった。

石原莞爾教官が古戦史でフリードリッヒの持久戦略を、
また日露戦史で若干東洋的戦争哲学、兵站補給などの
再認識を呼びかけた教官がいたのは印象的であったが、
所詮大勢とはならず、特に大東亜戦争において
兵站軽視の弊風があったことと考え合せると、
決戦戦略偏重の強がりの弊も度がすぎた、と
痛感されるのである」(那須義雄『陸軍大学校』)

 

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