gakushu - 最新エントリー
(TV東京20151104)
荒川放水路:
1910、8月に来襲した2つの台風により2週間の大雨が、
関東大水害をもたらした。
1913、用地買収が完了し、パナマ運河技術者により着工。10年計画。
1924、墨田川への分岐点の岩淵水門が運用開始。
1930、世界大戦と大震災を経て、荒川放水路完成。
1947、カスリーン台風ののち、荒川上流に、二瀬ダムを計画、1961完成。
1949、治水調査会により利根川上流にも、八ッ場ダムを計画、2019完成。
詳細→YouTube: TV TOKYO
(NHK20150905)
東京新宿に、ロンドンから寄贈された馬水槽
(TV東京20180621)
(NHK20141015)
(NHK20150719)
(NHK20160109)
1925(大正14)、NHKラジオ 本放送開始
(TV東京20150910)
1925年10月、
石原莞爾古戦史の教官になる。
戦術的に勝つことに努力するは当然ながら、
特にいたずらに決戦に勝つことのみを強調する。
これは欧米戦術に心酔した力の戦いを尊重した結果であり、
窮極において戦いは心の戦い、心理戦
であることを忘れたきらいがある。
つまり力の戦いが勢い真実に反する「強気」の傾向を呼び、
あまりに硬直して、殆んど退くことを知らぬ。
もとより弱音をはかない主義は戦陣のこととて、大切ではあるが、
真実に反して形式に堕し迎合に傾く時において
行き過ぎの強ガリとなり、持久戦略の欠如となり
ゲリラ戦の如きは夢にも考えなかった。
石原莞爾教官が古戦史でフリードリッヒの持久戦略を、
また日露戦史で若干東洋的戦争哲学、兵站補給などの
再認識を呼びかけた教官がいたのは印象的であったが、
所詮大勢とはならず、特に大東亜戦争において
兵站軽視の弊風があったことと考え合せると、
決戦戦略偏重の強がりの弊も度がすぎた、と
痛感されるのである」(那須義雄『陸軍大学校』)